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ゴッホとゴーギャン展に行ってみたらメンヘラとして感動を抑えきれなかった。

先日、ゴッホゴーギャン展に行きました。

絵画はそこまで興味がないのですが、夫(予定)に付き合って行ってみました。

 

大前提として、音声ガイドは借りるべき

ゴッホゴーギャンの役割を演じるのは、小野大輔さんと杉田智和さん。

深夜アニメ鑑賞勢にはお馴染みの二人ですね。

でも、声優に興味がない人にも断然おすすめの内容になっています。

声優としての演技力ももちろんですが、内容もゴッホゴーギャンが実際に書いたor言った(多分)言葉が読み上げられるもので、鑑賞しながら二人の立場や気持ちに思いを馳せることができる、素晴らしい内容でした。

ゴッホゴーギャンの関係性についての世界観にどっぷり浸れると思います。

普段は絵の解説に興味がないので音声ガイドは聴かないのですが、この音声ガイドはそんな私でもつい聴き入ってしまうほど高クオリティでした。

ぜひ音声ガイドを聴きながら鑑賞されることをおすすめします。

 

メンヘラなゴッホ

メンヘラの定義は私にもよく分かりませんが、「精神的に不安定でちょっとやばめな人」みたいなふんわりした意味で捉えるとすれば、ゴッホは間違いなくメンヘラです。

ゴーギャンや弟に依存してみたり、自傷行為をしてみたり、入院したり、最後は自殺を図ったり。

私のメンヘラは彼ほど重度ではないのですが、広い意味でのメンヘラ仲間として(勝手に仲間意識)すごく同情しました。

さぞかしつらかったんだろうな…。

 

メンヘラゴッホが愛したゴーギャン

ゴッホはたくさんの画家たちに共同生活を持ちかける手紙を送りましたが、それに賛同してくれたのはゴーギャンだけでした。

優しいですね、ゴーギャン(まあ共同生活すればゴッホの弟が生活費の面倒を見てくれるからというのも理由だったみたいですが)。

共同生活が決まったゴッホは大喜びで、ゴーギャンのために何枚もひまわりの絵を描いたり、ゴーギャンのために専用の家具を買い揃えたりしました。

メンヘラあるある。関係を築き始めた初期段階は、仲良くしてくれることに喜びすぎて相手に過剰に尽くしちゃうやつ。

共同生活中も二人は一緒に絵を描いたりしたそうですが、あまり意見は合わなかったようです。

ゴーギャンが嫌気がさして共同生活の解消を匂わせ始めると、ゴッホは不安になったのか、ある日自分の耳をカミソリで切り落とします。

(切る前に夜道でゴーギャンにカミソリで襲いかかったそうですが、ゴーギャンに睨まれて逃げたそうです。そのシーンを想像するとちょっと面白い。睨まれただけで逃げるんかーい!みたいな(いや面白がることじゃないんだろうけど)。)

メンヘラあるあるその2。思いのままに自分の感情をぶつけ続けていたら相手がその重さに耐え切れなくなるが、見捨てられそうになると途端に情緒が不安定になり、引き留めたさのあまり自傷行為などの奇行に走る。

やられた方はたまったもんじゃないのは分かるのですが、ゴッホの気持ちの揺れ動きには思い当たる節しかなくてつらい。

しかしさすがに耳を切り落とされたら大抵の人間は「マジやばい」と言って逃げ出すでしょうね。

ゴーギャンゴッホが倒れているのを見つけてゴッホ弟に連絡し、パリへ帰ってしまいました。

 そりゃそうだ。帰るわ。手に負えないもん。

こんな感じで、ゴッホゴーギャンの共同生活は2ヶ月で終わってしまいました。

 

ゴッホの死

ゴッホはその後精神病院に入院したりしながら絵を描き続けましたが、色々ありつつ、約2年後にピストル自殺を図り亡くなります。

この間は、仲良しだった弟テオの結婚やその妻の出産で見捨てられ不安を発動して不安定になっていたようですが、とりあえずゴーギャンとはあまり関係がないので割愛。

ゴッホの死を知ったゴーギャンは、「ああ、やっぱりな」(私の意訳)と思ったそうです。

ゴッホの奇行を間近で見てきたゴーギャンにとっては、ゴッホの死は「なんてことだ!かわいそうに」というよりも「そうだよね、あんなに苦しんでいたもんね」と感じられたんでしょうね。

その言葉がなんだかとてもリアルだな、と思いました。

私のひどいメンヘラ奇行を長年目の当たりにしてきた夫(予定)も、きっと私が自死を成功させたら、悲しむだろうとは思うんですけど、「ああ、ついにやっちゃったか…」とも思うだろうと思うんです。

ゴッホゴーギャンの生活は2ヶ月だけでしたが、その中でゴーギャンゴッホという人間の内面について深く知ったんだろうなあ、と思う言葉です。

 

ゴーギャンの「いすの上のひまわり」

ゴーギャンもその後苦労したようです。

タヒチに移住してみたり。詳細は割愛。

晩年、ゴーギャンはひまわりの種をわざわざ取り寄せて栽培し、それを題材にして「いすの上のひまわり」という絵を描きました。

そう、ゴッホが大好きなゴーギャンのためにたくさん描いたあのひまわりです。

そして、ひまわりはいすの上に乗っていました。

それは肘掛けいすです。

絵画展の途中に出てきますが、ゴッホゴーギャンとの共同生活のために用意した肘掛けいすに見立てていたのでしょう。

ゴッホの死から11年も経っていました。

 

この一枚が本当に感動的で、胸が詰まります。

音声ガイドを聴きながら見ると泣けてきてしまいます。

ゴーギャンはどんな思いでこの一枚を描いたのだろう、と想像してみると、なんとも言えない気持ちになります。

ゴーギャンゴッホとの生活を「こんなのやってられるか」と逃げるように去ってしまったのですが、それでもゴッホのことを嫌いになったわけではないのです。

ただ、ゴーギャンにはゴッホのそばにいてゴッホを受け止めるほどのキャパは無かった。

 

ゴッホの苦しみ

私には、ゴッホの苦しみが少し分かるような気がします。

誰かと繋がっていたい、心から分かり合える人と一緒にいたい。安心が欲しい。

とても寂しがりで、弱くて、いつも不安だったゴッホ

ゴーギャンも弟テオも、ゴッホが本当に求めるものは与えることができなかった。

ゴッホの心はいつもどこかに隙間が空いているようで、その隙間に怯えながら生きていたのでしょう。

それでもゴッホは絵を描き続けた。

寂しくても、不安に押しつぶされそうでも、やっと見つけたかもしれない友達に逃げられても、弟が愛する人と幸せになっても、居場所が無くても。

ゴッホの絵は、ゴッホが懸命に生きた証です。

だから惹きつけられるのかもしれません。

もし、ゴッホが心から愛し合える人と出会い、孤独を癒してしまったら?

その時は、ゴッホのあのなんとも言えない恐ろしさもあるような力強い作品たちは生まれなかったのかもしれないと思うのです。

(私は、それでもゴッホに幸せになってもらいたかったですけどね。メンヘラは孤独でつらいですから。)

 

ゴーギャンの思い

そして、ゴーギャンも、ゴッホの生き様に、少なからず心を動かされていたのでしょう。

11年前のたった2ヶ月の生活、そこで知ったゴッホという人間の生き様。

ゴッホゴーギャンを求めていたこともよく分かっていたと思います。

それでもゴーギャンは応えることはできなかった。

私の完全なる妄想ですが、ゴーギャンは、ゴッホが伸ばしていた手を取ってあげられなかったことを、心のどこかで悔いていたのではないだろうかと思うのです。

「あの時もっと上手く共同生活ができていたら、ゴッホはもう少し違う人生を生きられたのではないか。」

そんな風に考えていたのではないかと思うのです。

そんなゴーギャンの優しさを感じさせる一枚です。

 

メンヘラとしては嬉しいかぎり

私は、ゴーギャンのこの一枚を見て、メンヘラの立場として、本当に救われる思いがしたんですよね。

見捨てられ不安に怯えるゴッホ。いつも、ゴーギャンや弟テオに、嫌われたのではないか、嫌がられているのではないかと、不安に思っていたと思うのです。

そして、確かにゴッホの精神状態や行動は、完全に受け入れられるものではなかったかもしれません。

だけど、ゴーギャンの絵には、確かにゴッホへの「愛情」があると思いました。

ゴッホという人間を知り、時には逃げ出しながらも、ゴッホの死後何年経ってもなお、ゴッホのことを思い出し、ゴッホの思い出を絵にした。

これを「愛」と呼ばずに何を「愛」と呼びましょう。

ゴッホの魂というものが存在するなら、きっとゴッホゴーギャンの絵を見てとても喜んでいるでしょう。

大好きな人に死後も思い出してもらえて、とっても素敵な絵を描いてもらえて、本当に嬉しいと思います。

良かったね、ゴッホ

 

メンヘラの心を動かすゴッホゴーギャン

今は名古屋で開催されていますね。

開催期間も残り1ヶ月を切ったので、ぜひこの機会に足を運んでみてはいかがでしょうか。

メンヘラを抱えながらも懸命に生きるゴッホと、そんなゴッホを愛してくれた人々(ゴーギャンだけでなく、弟テオもかなりゴッホの絵に貢献してくれた人です。彼も間違いなくゴッホのことを愛していましたよ。ゴッホはそれでも心の不安を埋められませんでしたが。)の人生を垣間見ることができますよ。

どんなに苦しくても、奇行に走っても、最後まで足掻いて生き抜いたゴッホに感動と勇気をもらえる絵画展です。