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ゴッホとゴーギャン展に行ってみたらメンヘラとして感動を抑えきれなかった。

先日、ゴッホゴーギャン展に行きました。

絵画はそこまで興味がないのですが、夫(予定)に付き合って行ってみました。

 

大前提として、音声ガイドは借りるべき

ゴッホゴーギャンの役割を演じるのは、小野大輔さんと杉田智和さん。

深夜アニメ鑑賞勢にはお馴染みの二人ですね。

でも、声優に興味がない人にも断然おすすめの内容になっています。

声優としての演技力ももちろんですが、内容もゴッホゴーギャンが実際に書いたor言った(多分)言葉が読み上げられるもので、鑑賞しながら二人の立場や気持ちに思いを馳せることができる、素晴らしい内容でした。

ゴッホゴーギャンの関係性についての世界観にどっぷり浸れると思います。

普段は絵の解説に興味がないので音声ガイドは聴かないのですが、この音声ガイドはそんな私でもつい聴き入ってしまうほど高クオリティでした。

ぜひ音声ガイドを聴きながら鑑賞されることをおすすめします。

 

メンヘラなゴッホ

メンヘラの定義は私にもよく分かりませんが、「精神的に不安定でちょっとやばめな人」みたいなふんわりした意味で捉えるとすれば、ゴッホは間違いなくメンヘラです。

ゴーギャンや弟に依存してみたり、自傷行為をしてみたり、入院したり、最後は自殺を図ったり。

私のメンヘラは彼ほど重度ではないのですが、広い意味でのメンヘラ仲間として(勝手に仲間意識)すごく同情しました。

さぞかしつらかったんだろうな…。

 

メンヘラゴッホが愛したゴーギャン

ゴッホはたくさんの画家たちに共同生活を持ちかける手紙を送りましたが、それに賛同してくれたのはゴーギャンだけでした。

優しいですね、ゴーギャン(まあ共同生活すればゴッホの弟が生活費の面倒を見てくれるからというのも理由だったみたいですが)。

共同生活が決まったゴッホは大喜びで、ゴーギャンのために何枚もひまわりの絵を描いたり、ゴーギャンのために専用の家具を買い揃えたりしました。

メンヘラあるある。関係を築き始めた初期段階は、仲良くしてくれることに喜びすぎて相手に過剰に尽くしちゃうやつ。

共同生活中も二人は一緒に絵を描いたりしたそうですが、あまり意見は合わなかったようです。

ゴーギャンが嫌気がさして共同生活の解消を匂わせ始めると、ゴッホは不安になったのか、ある日自分の耳をカミソリで切り落とします。

(切る前に夜道でゴーギャンにカミソリで襲いかかったそうですが、ゴーギャンに睨まれて逃げたそうです。そのシーンを想像するとちょっと面白い。睨まれただけで逃げるんかーい!みたいな(いや面白がることじゃないんだろうけど)。)

メンヘラあるあるその2。思いのままに自分の感情をぶつけ続けていたら相手がその重さに耐え切れなくなるが、見捨てられそうになると途端に情緒が不安定になり、引き留めたさのあまり自傷行為などの奇行に走る。

やられた方はたまったもんじゃないのは分かるのですが、ゴッホの気持ちの揺れ動きには思い当たる節しかなくてつらい。

しかしさすがに耳を切り落とされたら大抵の人間は「マジやばい」と言って逃げ出すでしょうね。

ゴーギャンゴッホが倒れているのを見つけてゴッホ弟に連絡し、パリへ帰ってしまいました。

 そりゃそうだ。帰るわ。手に負えないもん。

こんな感じで、ゴッホゴーギャンの共同生活は2ヶ月で終わってしまいました。

 

ゴッホの死

ゴッホはその後精神病院に入院したりしながら絵を描き続けましたが、色々ありつつ、約2年後にピストル自殺を図り亡くなります。

この間は、仲良しだった弟テオの結婚やその妻の出産で見捨てられ不安を発動して不安定になっていたようですが、とりあえずゴーギャンとはあまり関係がないので割愛。

ゴッホの死を知ったゴーギャンは、「ああ、やっぱりな」(私の意訳)と思ったそうです。

ゴッホの奇行を間近で見てきたゴーギャンにとっては、ゴッホの死は「なんてことだ!かわいそうに」というよりも「そうだよね、あんなに苦しんでいたもんね」と感じられたんでしょうね。

その言葉がなんだかとてもリアルだな、と思いました。

私のひどいメンヘラ奇行を長年目の当たりにしてきた夫(予定)も、きっと私が自死を成功させたら、悲しむだろうとは思うんですけど、「ああ、ついにやっちゃったか…」とも思うだろうと思うんです。

ゴッホゴーギャンの生活は2ヶ月だけでしたが、その中でゴーギャンゴッホという人間の内面について深く知ったんだろうなあ、と思う言葉です。

 

ゴーギャンの「いすの上のひまわり」

ゴーギャンもその後苦労したようです。

タヒチに移住してみたり。詳細は割愛。

晩年、ゴーギャンはひまわりの種をわざわざ取り寄せて栽培し、それを題材にして「いすの上のひまわり」という絵を描きました。

そう、ゴッホが大好きなゴーギャンのためにたくさん描いたあのひまわりです。

そして、ひまわりはいすの上に乗っていました。

それは肘掛けいすです。

絵画展の途中に出てきますが、ゴッホゴーギャンとの共同生活のために用意した肘掛けいすに見立てていたのでしょう。

ゴッホの死から11年も経っていました。

 

この一枚が本当に感動的で、胸が詰まります。

音声ガイドを聴きながら見ると泣けてきてしまいます。

ゴーギャンはどんな思いでこの一枚を描いたのだろう、と想像してみると、なんとも言えない気持ちになります。

ゴーギャンゴッホとの生活を「こんなのやってられるか」と逃げるように去ってしまったのですが、それでもゴッホのことを嫌いになったわけではないのです。

ただ、ゴーギャンにはゴッホのそばにいてゴッホを受け止めるほどのキャパは無かった。

 

ゴッホの苦しみ

私には、ゴッホの苦しみが少し分かるような気がします。

誰かと繋がっていたい、心から分かり合える人と一緒にいたい。安心が欲しい。

とても寂しがりで、弱くて、いつも不安だったゴッホ

ゴーギャンも弟テオも、ゴッホが本当に求めるものは与えることができなかった。

ゴッホの心はいつもどこかに隙間が空いているようで、その隙間に怯えながら生きていたのでしょう。

それでもゴッホは絵を描き続けた。

寂しくても、不安に押しつぶされそうでも、やっと見つけたかもしれない友達に逃げられても、弟が愛する人と幸せになっても、居場所が無くても。

ゴッホの絵は、ゴッホが懸命に生きた証です。

だから惹きつけられるのかもしれません。

もし、ゴッホが心から愛し合える人と出会い、孤独を癒してしまったら?

その時は、ゴッホのあのなんとも言えない恐ろしさもあるような力強い作品たちは生まれなかったのかもしれないと思うのです。

(私は、それでもゴッホに幸せになってもらいたかったですけどね。メンヘラは孤独でつらいですから。)

 

ゴーギャンの思い

そして、ゴーギャンも、ゴッホの生き様に、少なからず心を動かされていたのでしょう。

11年前のたった2ヶ月の生活、そこで知ったゴッホという人間の生き様。

ゴッホゴーギャンを求めていたこともよく分かっていたと思います。

それでもゴーギャンは応えることはできなかった。

私の完全なる妄想ですが、ゴーギャンは、ゴッホが伸ばしていた手を取ってあげられなかったことを、心のどこかで悔いていたのではないだろうかと思うのです。

「あの時もっと上手く共同生活ができていたら、ゴッホはもう少し違う人生を生きられたのではないか。」

そんな風に考えていたのではないかと思うのです。

そんなゴーギャンの優しさを感じさせる一枚です。

 

メンヘラとしては嬉しいかぎり

私は、ゴーギャンのこの一枚を見て、メンヘラの立場として、本当に救われる思いがしたんですよね。

見捨てられ不安に怯えるゴッホ。いつも、ゴーギャンや弟テオに、嫌われたのではないか、嫌がられているのではないかと、不安に思っていたと思うのです。

そして、確かにゴッホの精神状態や行動は、完全に受け入れられるものではなかったかもしれません。

だけど、ゴーギャンの絵には、確かにゴッホへの「愛情」があると思いました。

ゴッホという人間を知り、時には逃げ出しながらも、ゴッホの死後何年経ってもなお、ゴッホのことを思い出し、ゴッホの思い出を絵にした。

これを「愛」と呼ばずに何を「愛」と呼びましょう。

ゴッホの魂というものが存在するなら、きっとゴッホゴーギャンの絵を見てとても喜んでいるでしょう。

大好きな人に死後も思い出してもらえて、とっても素敵な絵を描いてもらえて、本当に嬉しいと思います。

良かったね、ゴッホ

 

メンヘラの心を動かすゴッホゴーギャン

今は名古屋で開催されていますね。

開催期間も残り1ヶ月を切ったので、ぜひこの機会に足を運んでみてはいかがでしょうか。

メンヘラを抱えながらも懸命に生きるゴッホと、そんなゴッホを愛してくれた人々(ゴーギャンだけでなく、弟テオもかなりゴッホの絵に貢献してくれた人です。彼も間違いなくゴッホのことを愛していましたよ。ゴッホはそれでも心の不安を埋められませんでしたが。)の人生を垣間見ることができますよ。

どんなに苦しくても、奇行に走っても、最後まで足掻いて生き抜いたゴッホに感動と勇気をもらえる絵画展です。

境界性人格障害について

こんにちは、yomoxです。

今日は境界性人格障害について書いてみたいと思います。

 

境界性人格障害とは?

私も詳しくは分かりませんが、服薬しなきゃ治せないという病気でもなく、でも性格って域は超えちゃってる精神状態を指すのかなと理解してます(適当)。

二種類の状態のどっちにも分類できない、境界にある状態ということで「境界性」と呼ぶみたいです。

適当過ぎて困ってきたので詳しくはwebで。

 

なんで境界性人格障害の話?

以前から自分の精神状態が厄介だなと思うことが多々あり困っていたのですが、ある日本屋で境界性人格障害(長いので以下ボーダーと言います)の本を手に取ったところ、症状があまりに似ていて「こ、これだ!!」と思いました。

完全なる自己診断ですが、私はボーダーなんだろうと思います。

 

どんな症状?

基本は見捨てられ不安です。

何はともあれ見捨てられ不安。

「自分はいつか見捨てられるのではないか?」という恐怖が染み付いています。

私の場合は、この恐怖を感じてスイッチが入ると「病み」ます。

激高してみたり、号泣してみたり、死にたいと思ってみたり、夜中にパジャマで出歩いてみたり。

はい、完全にやばい人です。

でも、止められないんですよね。

「捨てられる!」「拒絶された!」と思うと、パニックになって、正常な判断ができなくなるのです。

それから、病みスイッチが入っていない時でも、「試し行動」をしてしまったりします。

「この人は本当に私のことを好きだろうか」と確かめるために、無理難題を要求してみたり、嫌がることをわざとしてみたりします。モラハラですね。

私のことが好きで一緒にいてくれてる人になんてことをしているんだろうと思いますね。その節はすみませんでした(土下座)。

 

どうしたらやめられるか

境界性人格障害の治し方を調べると、大抵「抗不安薬を飲む」とか「カウンセリングを受ける」とか「ホルモンバランスのせいなので年齢を重ねると自然によくなる」とか書いてあります。

根本的な治療法は無いようです。

私は初めてそう読んだ時はかなりショックでした。こんなに苦しいのに治せないのか、と。

カウンセリングは保険が効かないので高いですし。

でも、治療法がないというのは、つまり「薬でなければ絶対に変えられない」ような重い状態ではないということなのではないでしょうか。

生活スタイルや考え方で、改善できるのではないでしょうか。

私は、本人が治したい、やめたいと強く望んでいるなら、改善することはできると思います。

ホルモンバランスの影響もあると思いますが、それも含めて、生活習慣の改善や思考のあり方を見直せば、必ず変わることができると思います。

 

具体的な方法

他の記事でも言っていることですが、心の健康は体の健康から。

たとえば、ぐっすり気持ちよく眠った日と、24時間起きっぱなしの日では、心のささくれようが全然違うはずです。

それと同じで、睡眠はもちろん、体の栄養になる食事、そして適度に体を動かしていること。

これらが揃っていれば、おそらく大抵の精神不安定は簡単に治るんじゃないかと思っています。

「そんなことかよ!」と思うかもしれませんが、服薬するほどではないメンヘラのような類の症状は、おそらく「そんなこと」が足りていないせいであることがほとんどなのではないかと思います。

心の状態が悪化したら、まず第一に体のケアをしてください。

自分の体が喜ぶことをしてあげてください。

病んでしまうと神経が興奮して眠れないことが多いので、睡眠薬を常備しておくのも良いです。

やばそうと思ったらとりあえず睡眠薬を飲む。起きてから考えることにする。

病みの深追いは禁物です。あれは絶対体に悪いですよ。

病んでいる自分を見ると、自分のことも嫌になってしまいますし。

嫌なことからはどんどん逃げましょう。

 

健康面以外で

暇な時間を作るのをやめましょう。

思考そのものが割と不健康な癖になっていると思うので、暇な時間を与えられるとろくなことを考えないです。

お金を稼ぐも良し、ゲームをするも良し、寝溜めするも良し。

とにかく何でもいいので、「やること」を作りましょう。

別に大したことじゃなくてもいいんです。

でも、できれば「楽しいな」と思えることがいいですね。

ちなみに、異性関係で暇をつぶすのはあまりおすすめできません。

人との関わりが「見捨てられ不安」を呼び起こしてしまうと思うので。

「見捨てられ不安」が生じないような暇つぶしにしましょう。

 

やっぱり年齢は最強なのか

私も数年前は症状が本当に自分の中では重くて、月に最低でも一回は病んでました。

その度に「またやってしまった」「今度こそ嫌われた」「どうしてもいつもこうなんだろう」と落ち込みました。

でも、年齢を経て、自然と病み思考は薄れてきたように思います。

若い女性に多いとされるので、今若い方は症状に苦しんでいるかもしれません。

でも、自分の体とうまく付き合って、のんびり楽しく過ごしていれば、自然と治まってきます。

「今すぐではないけど、いつか必ず良くなる日が来る。穏やかな生活ができる」と思えば、未来にも希望が持てますよね。

 

大丈夫です

「こんなに情緒不安定でおかしな自分のことを好きになってくれる人なんているのだろうか」

「自分だったらこんな人間は好きじゃない」

私はそんなふうにいつも思っていました。

でも、開き直るまではいかなくても、「こんなところも含めて自分なんだ」と思ってもいいんじゃないでしょうか。

誰にだって体の調子が悪い時はあるし、怒ったり悲しかったりする日もある。

でも、それはいつまでも続くわけじゃない。

それと同じように、ボーダーの症状が出る時もあるし、出ないで楽しく過ごせる日もある。

それでいいのではないでしょうか。

症状が出ないのが一番ですが、もしなってしまったとしても、あまり自分を責めないで欲しいです。

そんな日もありますから。

そして、こんな私でもずっと一緒にいてくれる人がいるように、きっと誰にでもどんなことがあっても一緒にいようと思ってくれる人はいるはずです。

それを忘れないでください。信じてください。

気楽に生きちゃっても、いいんですよ。

メンヘラ/モラハラについて考える

ごあいさつ

こんにちは。yomoxです。

今日も寒いですね(適当)。

本題

今日のテーマは「メンヘラ/モラハラについて考える」です。

私自身がメンヘラ/モラハラな人間だと思うので、日頃から色々と思うことがあります。

今日は私が思うメンヘラ/モラハラの生態について書いてみようと思います。

メンヘラとモラハラについては、厳密な定義は分からないのですが、私の勝手な判断で「メンヘラってだいたいモラハラじゃね?」と思ったのでまとめております。

 

メンヘラ/モラハラな人間の思考

一言で言えば自己中です。

自分が大好きです。

とにかく自分ありきです。

「私/俺ってこんなにかわいそう!」「こんなにつらいの!」とアピールするタイプのメンヘラ/モラハラは後を絶ちませんが、心の奥底では自分のことが可愛くて可愛くて仕方ないです。

誰だって自分のことは好きじゃない?

と思うかもしれません。

確かにそうです。

誰だって自分が一番大事です。そりゃそうです。

それはとても大切なことだと思います。

メンヘラ/モラハラな人は、自分大好きにとどまりません。

自分可愛さゆえに、周囲の人がどうなろうとも知ったこっちゃない、むしろ利用できるだけ利用してやろう、みんな私の幸せのために行動してね!という思考の人がメンヘラ/モラハラです。

周囲に多大な迷惑をかけます。

 

メンヘラ/モラハラは餌食にする人間を巧妙に選び抜く

「メンヘラ/モラハラって周りのことを考えずに迷惑な言動をする人なの?そんなのすぐに分かるしみんな逃げていくよね」と思われるかもしれません。

でも違います。

メンヘラ/モラハラは、空気を読む力はあります。

なぜなら自分が最大限に好かれて可愛がられることを求めるからです。

空気を読めない人間は嫌われます。居場所を失います。

だから、いつでもその本領を発揮しているわけではないです。

慎重に相手を選び出して、「この人ならいける!」と思う人にしかメンヘラ/モラハラ行為をしません。

かなり卑劣でセコいタイプの人間なんです。

悲しいですね。

 

メンヘラ/モラハラに狙われるタイプとは

狙いやすいタイプの人は少し一緒に過ごせば結構簡単に判別できます。

ポイントは「コントロールのしやすさ」です。

洗脳のしやすさ、言うことを聞いてくれるかどうか、とも言えます。

メンヘラ/モラハラは自分の満足のために動いてくれる人を求めているので、何よりも「言うことを聞く人間」を好みます。

自分の意志がない人、素直に受け入れてくれる人、口下手で話の聞き手に回ることが多い人、怒らない(怒れない)人、頼みを断れない人、などなど。

自分に自信がない人は本当に狙いやすいです。

メンヘラ/モラハラは人の心の動きに敏感なので、自信がない人や心が弱っている人はすぐに分かります。

そして、心が弱っている人はとっても隙だらけなのです。

「あなたにはこんないいところがあるよ」「あなたのことを分かっているのは自分だけ」「あなたのこんなところが好き」などなど、あの手この手で相手の心をくすぐります。

そして自分無しでは生きていけないように育てるのです。

相手が自分のことを好きになればなるほど洗脳できて要求が通りやすくなります。

それから、経験上、「家族などの身近な人の中にメンヘラ/モラハラタイプの人間がいた」という人は、狙いやすいと思います。

幼少期からよく訓練された被メンヘラ/モラハラ人間なのですね。

全力で逃げてください。

 

メンヘラ/モラハラから逃げる方法

まずは、メンヘラ/モラハラ人間を見抜きましょう。

ただ、狙われていると、最初のうちはいい顔しかしてないことが多いので(油断させて惚れ込ませてからコントロールをかけていくのが確実なため)、なかなか見抜けないかもしれません。

でも、「自分が一番大好きで、他の人のことなんて知ったこっちゃない」という態度は、なかなか隠し通せないもので、言動の端々に現れていると思います。

それを察知しましょう。

たとえば、特にメンヘラは、脇が甘いので、興味のない人間や、目当てじゃない人間、どうでもいい人間などにはとても冷たくなったりします。

人によって態度が変わる人間は要注意です(まあ、それは別にメンヘラじゃなくても人としてどうかと思いますが)。

それから、よく言われますがメンヘラの女性は同性の友達がいないことが多いのは傾向としてあると思います。

これは女性同士だと異性間におけるような下心が発生せず、簡単にちやほやされる関係にならないからです。

たまにモラハラ的な関係になっている女性同士の付き合いもありますが、基本はお互いに自立した人間として付き合うのが普通ですよね。

人として自立しておらず、主従(依存)関係でしか人間関係を築けないメンヘラ/モラハラは、自立した関係を居心地が悪く感じるので、同性の友人がいなかったり少なかったりします(必ずしもそうとは限りませんが、一つの判断材料にはなります)。

 

知り合って間もない段階で「この人は私のことをコントロールしにかかっているな」「メンヘラ/モラハラなのでは?」と気付ける人は、人を見る目があると言えるので、今後も安心です。

少し仲良くなってしまったりした場合には、すぐに距離を取れば、メンヘラ/モラハラは敏感に察知して諦めてくれます。

もしかなり親密になってしまった場合、まあ逃げるしかないのですが、メンヘラ/モラハラも獲物を逃すまいと必死に追いかけてくると思います。

媚びてみたり、泣き落としをしてみたり、怒って脅しをかけてみたり、自傷行為をしてみたり、等々。

でも、屈せずに、まずは物理的距離を取ってください。

とにかく相手にしないこと。

ただ、距離のおき方によっては恨みを買うかもしれませんので、できるだけ穏便に行ってください。

メンヘラ/モラハラは自分大好きなので、自分を否定する人間には非常に敏感で、敵認定すると嫌がらせをしたり危害を加えたりするタイプもいます。

相手を挑発したり嫌がらせのような行為をすることは避けてください。

「あなたとはもう一緒にいられない」とはっきり宣言して、冷静に距離を取りましょう。

どう足掻いてももう関係を修復することはできないんだ、と気付いてくれれば、メンヘラ/モラハラは去ります。

 

離れられないあなたへ

「自分のことをこんなに求めてくれている」「自分がいなくなったら悲しむのではないか」、そんな考えは捨ててください。

というか、その考えが出てくる時点でよく訓練された被メンヘラ/モラハラ人間になっちゃってます。

思い出してみてください。メンヘラ/モラハラは自分のことが大好きなんです。

常に自分が一番可愛いんです。

自分のためならなんだってします。他人の人生を自分のために使わせることも厭わないのです。

だから、離れたところで「良き洗脳対象を失った」だけなんです。

そのうちまた新しい洗脳対象を探し始めることでしょう。

メンヘラ/モラハラはめちゃくちゃ図太い奴なので、大丈夫です(繊細ぶってるだけです)。

 

メンヘラ/モラハラは治せるか

メンヘラ/モラハラでもいい!この人が好き!一緒にいたい!と思う方もいるかもしれません。

一定数いると思います。

共依存になっている人もいますが、まともな精神状態の人であるにもかかわらず、メンヘラ/モラハラ人間を愛してくれる人もいます。

ありがたいことです。神でしょうか。神ですね。

でも、「私/俺が一緒に治してあげよう」とは思わない方がいいです。

「かわいそうだからなんとかしてあげなきゃ」という気持ちは、メンヘラ/モラハラの格好の餌です。おいしいです。

その気持ちがつけ込む隙を与えますし、改善の道を閉ざします。

メンヘラ/モラハラは甘ったれ精神ですからね。

「あなたのメンヘラ/モラハラな部分は嫌だ。そういうことをされると一緒にいられなくなる」ときっぱり言いましょう。

その上で、「でもあなたのことが嫌いになったわけじゃないから、一緒にどうすれば良くなるか考えよう」と言ってもらえたら尚ありがたいです。が、隙を見せると食われるのでまあほったらかしでもいいと思います。

良くないことは良くないと言う。いざとなればあなたと離れる覚悟ができていると本気を見せる(「どうせ離れられないだろう」と思わせるようではダメです。「こいつ…本気だ…!」と思わせましょう。甘ったれの子供みたいなものです)。でも、あなたが改善できるなら一緒にいたいんだよ、という態度が最も望ましいです。

ただ、やっぱり染み付いた根性なので、改善には時間がかかるかもしれません。

個人差があるとは思いますが。

メンヘラ/モラハラは洗脳者さえ見つけ出せば自分にとって非常に快適な人間関係を作り出せるので、長年ぬるま湯に浸かって生きてきた人間とまともな人間関係を築くのは根気がいります。

そうなると、やはり最重要なのが本人の「変えたいと思う気持ち」です。

本人の行動ですから、本人が変わりたいと思わなければ根本的に変わることはないでしょう。

その場しのぎで「変わるから一緒にいて」と言う場合もあると思いますし、本当に変わりたいと思っていてもなかなかやめられない場合もあるかもしれません。

それは愛情の容量と相談しながら対応してください。

 

メンヘラ/モラハラなあなたへ

メンヘラ/モラハラは簡単にちやほやが手に入り、甘ったるくて、気楽で、面倒なことは何もなくて、最高だからやめられない!と思っているかもしれません。

でも、培われたメンヘラ/モラハラ根性は、やがて日常生活にも滲み出して、まともな人間は周囲からいなくなり、狭く限られた世界でしか生きていけないようになります。

そして何より、利害でしか人間関係を捉えられないことの虚しさ。

利害に関係なく、相手を思いやり、尊重し、関係を築き上げていくことの喜びを知らないのは、本当の愛情を知らないのと同じことだと思います。

満たされているはずなのに、どこか心が埋まらなくて、いつまでも他人の評価を気にして、誰かに好かれなければと必死にならずにはいられない。

そんな生活も、あなたが変えようと思えば、確かに変えることができるのです。

簡単ではないし、なんでも許されないし、媚びても言う通りにならないし、自分中心でもない。

でも、誰かとお互いを人として尊重しあえる対等な関係を築くことは、確かに心が満たされます。

相手を尊重することは、自分を尊重することなのです。

捨てられることに怯えることなく、穏やかに生きていけるようになります。

私は、あなた自身の幸せのために、脱メンヘラ/モラハラをおすすめします。

自己肯定感の大切さ

入籍予定の恋人がいる。一緒に暮らして数年経つ。

どんな人なのか大体把握しているし、話していたら楽しいし、同じことを考えている瞬間が何回もあって思考も似通ってきたなと感じる。

確実に最初の頃より信頼が増したし、絆みたいなものも強くなったと思う。

 

でも、時々、どうしようもない不安に駆られることがある。

「私は好かれていないんじゃないか」「こんな私を好きなはずがない」「今、面倒な女だと思われた」など。

一瞬思ってすぐ忘れるのならよくあることかもしれないが、その不安に取り憑かれて、あらゆる言動が私を否定しているのではないかと、偏った見方モードになってしまう。

そうなるともう止まらなくて、いつまでも「私のことを本当に好きか」と聞いてみたり、テレビのかわいい芸能人に嫉妬して「こういう人が好きなのか」と詰め寄ってみたり、最終的には切羽詰まって泣いたりする(こうして文字に起こすと本当に面倒くさい女だし、呆れて嫌そうにする世の男性の顔が浮かぶ。しかし、「だから女は嫌なんだよ」などと言わないで欲しい。私は確かに面倒な女だが、面倒ではない女もたくさんいる。どうか個人ごとに判断をしてもらいたい)。

 

どうしてこんなことになるのかは自分でも把握しているつもりで、それは自己肯定感が低いからだと思う。

自己肯定感が低いと、自分の存在や、やることなすことは大抵ダメだと思っているので、自分を認めてもらいたくて、近しくなった人に過剰に肯定を求めてしまう。

近しくなってくれた人は私のことを少なからず好いてくれている人なので、私が不安がっていたり、愛情を求めればそれに応えようとしてくれる。

でも、私は肯定感を溜め込む心の中のバケツの底が抜けているから、どんなに与えられても完璧に満足することはない。

一時的に満足したように見えても、時間が経つとまた同じことが繰り返される。

「私のこと好き?」が繰り返される程度ならまだかわいらしいが、私の場合は要求がどんどん重くなっていく。

親しくなって相手のことを好きになればなるほど、親密になればなるほど、その人がかけがえのない存在になり、そして同じくらい失うことが怖くなるからだ。

その人に否定されることを何よりも恐れているから、不安の大きさの分だけ愛情確認もそれを払拭できるくらいの強固なものが必要になる。

そんなことが繰り返される日々によって、やがて自分も周囲の人も精神的に疲弊していく。

 

じゃあ自己肯定感を高めるためにはどうすればいいのか?

 

まず、自分は自己肯定感が低いと認識すること。そのせいで自分や周囲を振り回し、負担をかけていることに気付くこと。

どうして自分がこんなに不安になってしまうのか、他人の承認を求めずにいられないのか、その原因を把握するだけでも少し落ち着くように思う。

体の不調に病名がつくとひとまず少し安心できるのと同じ。

 

そして、他人の承認によって自己肯定感を高めようとすることを止めること。

どんなに近い存在、たとえば家族や恋人や親友などであっても、他人は他人で、自分とは違う人間であり、その人の生活がある。

他人は自分の心を満たすための道具ではない。

自分の心の隙間は自分で埋めるのだ、と覚悟をすること。

他人になんとかしてもらおうという考えは、甘えを生む。甘えは期待を生んで、期待は満たされなかった時に恨みや怒りに変わる。被害者意識に邪魔されて、正常な判断ができなくなる。

だから、他人に気持ちを満たしてもらおうと思うのはやめるべきだ。

これも、明確に「よし!今からあの人に気持ちを満たしてもらうぞ!」と考えているなんてことはほとんどなくて、無意識に他人で気持ちを満たそうとしていることがほとんどだと思う。

「自分は今、この人の言動によって自分の気持ちを満たそうとしているんだ」と気付くことがだいじ。

「もしこの人が期待通りの行動を取らなくても、許せなくなったり絶望したりしないかな?」と考えてみると判断できると思う。

許せない!裏切られた!とか、もう何も手に付かないほど悲しいとか、そういう気持ちになる場合は、その人の言動に依存している。

「こうしてくれたらいいなあ。でももし断られても、残念だけどその人の考えなんだし仕方ないな」と思えるなら健全な状態。

 

心の持ちよう以外で、具体的に自己肯定感を高める方法については私も模索中だけど、健全な精神は健全な肉体に宿るとはよく言ったもので、やっぱり体の健康を気遣うことから始めるべきだと思っている。

それは本当に基本的なことで、よく寝るとか、健康的で栄養のある食事とか、規則正しい生活とか、過剰なストレスを与えないとか、運動とか。

体が健康だと変に情緒不安定になることはまず無い(逆にいえば、「なんかおかしくない?大丈夫?」と思えるような言動をしているときは、体がよっぽど疲れていると考える。あれこれ思考を巡らすのはとりあえず止めて、健康的なごはんを食べて今すぐぐっすり寝るべき)。

私はむかし情緒不安定な時に「とりあえず寝たら?」と言われて「なんでそんなこと言うの?この問題は重要なことなのに!体と心の健康は別だよ!」と憤慨していた。

でも今なら分かる。心が追い込まれてカッとなっているときは例外なく体が疲れている。だから寝られるなら寝たほうがいい。寝て起きてから考えても遅くない(そして、寝て起きてみると案外心がすっきりしてどうでもよくなっていたりすることは多い)。

 

それから、他人に依存しないために、楽しいことを見つけるのは本当に大事なことだと思う。

夢中になれるものがあるというのはとても良いことだ。

たとえそれが他人に理解されなかったり、何も生み出さないとしても、無趣味で暇で退屈な時間を過ごすより何百倍もいいと思う。

なんでもいいので、人間関係以外で、「いいなあ、楽しいなあ」と思える時間を作り出す。

受け身にならず、行動力を発揮するべきとも言えるかもしれない(他人に満たしてもらいたいという姿勢は、「私の求めるものをあなたが持ってきてよ」という、他人任せな状態。自分の飢えは自分で満たす)。

  

自己肯定感って本当に大事。

自己肯定感があれば生活していても不安になったり悩んだりすることがぐっと減るんじゃないかと思っている。

自己肯定感は自分を幸せにするし、一緒にいる人のことも幸せにできる(最低限、迷惑をかけないようになる)。

自己肯定感を高めて、安定した精神状態を保てるようになりたい。